中年パワーリフター日記

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zoom RSS 心というものについての考察

<<   作成日時 : 2017/07/24 14:54   >>

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人の心は目に見えない。
でも確かに存在する。

眼に見えないからといって、否定したり、
「わからない」と投げてしまえば、
絶対にわからなくなる。
ただ、投げてしまった人は、一時的にとても楽になるだろう。
自分の人生の最終末を認識する時までは。

たとえ間違っていても
仮説を立てることをしなければ、
心の理解は全くできないと思う。
それは、心電図を読影できるようになる過程と同じ。
「本で読んだ知識」「人から聞いた知識」を
いくら集めても心電図は読めない。
特に最も難しい「正常範囲内」という所見を
読影できない。

間違っていても、自分なりに、所見を言う、診断をつける、
それが「はじめの一歩」である。
それができない人が、
人の批判だけで、自分はできない人になると思う。

困ったことに、真実から逃げる人に限って、
逃げない人の足を引っ張る。
自分が逃げているという負い目があるから、
逃げない人を否定したいのだろう。
こういう点では、中世も現代も変わらない、と思う。

心を知ることは、素粒子の研究と同じだと感じている。
注意深い観察、そしてそれまでの積み重ねた成果を元に、
仮説を立て、実験し、観察し(active/ passive sensingをして)、
仮説を検証して、さらに仮説を組み立てる。
その繰り返しで、見えないものの特性を知っていく。

もちろん。
素粒子研究と同じく、どれほど慎重で、注意深い
仮説、実験、観察、仮説のサイクルをもってしても、
そして、どんなに正しそうに見えても、
仮説が誤っていることもある。
「絶対ということはない」という、
量子ゆらぎとも共通する、落とし穴を
常に意識しなくてはいけない。
アインシュタインが「宇宙項」を撤回した後、
今になって、ダークエネルギーとして
注目を集めることもあるのだ。

BICEP2の結果が否定された経過は、
おそらく、本当に真実を探求している人には、
すぐに予見できたと思われるが、
それでも衝撃は強かった(らしい)。

ただ、私が接する、多くの心には、
残された時間は少なく、
その間、真実であれば、すなわちそれが真実となる。
BICEP2が否定されるまで生きられない人には、
誤っていてもBICEP2の結果が真実となってしまう。

心が素粒子と違うのは、sensingの方法が、
素粒子の場合のセンサーの読み:物理量と違い、
心の場合、言語や表情、行動、雰囲気といった、
感性に近いので、感受性がないとsensingそのものが
不可能になる点だろう。

そして、観測結果は、言語にすることが困難であるから、
他の人に伝えることが困難である。
逆に、感受性があれば、言葉にする必要さえないから、
直接的に共有できる。
それは、一人の患者様をチームでみていて、
お互いの心が共有できる機会が、
とても頻繁に経験できる、
それが傍証である。

感受性:いわゆるセンスは、持って生まれたものよりも、
修行すれば可能になると、私の人生が証明している。

もちろん、眼を背ける人には、伝えようとすること自体、
無益、有害である。

また素粒子と決定的に違うのは、
対象をぶっ壊すことが許されないことである。
X線回析のような破壊的方法は使えない。

しかし、これまた、普通の人が殺人をしないことからも、
相手の心をぶっ壊すことは、
通常は、人間として、大きな抵抗があるはずだから
救いである。

ただ、駅のホームで、人にぶつかって、
ぶつけられた人が線路に落ちて、亡くなっても、
「殺す気はなかった」と開き直れる人も多いので、
特に医療従事者の中には、
人の心をぶっ壊していることにすら、
気づかない人も多い。
まあ、過去の自分がそうだったから
わからないでもない。
でも許されるはずもない。


「傾聴」という言葉を使う人で、
本当にpassive sensingをしている人を見たことがない。
その人が何を考えているか、真剣に探りながら、
話を聞かなければ、ただ聞き流すだけ。
傾けるのは、耳とか頭部ではなく、
脳を傾けないと意味がない。

それまでに積み重ねたデータや成果なしに、
そして理論もなしに、
ただX線回析データを見ても、
ただの模様でしかないのと同じである。

「傾聴」を頻用する人は、
「I.C.」(Informed consent)を多用する傾向がある。
どちらも、一方通行であり、
「I.C.しても納得しない」のは、
自分の説明が悪いのではなく、
受け入れない患者様やご家族である、と
結論する医師や看護師によく見られる悪習であろう。

つまり、心は、知ろうと、懸命な努力をする人にだけ、
そして逃げない、偽らない観察、観測と
心を触れあうことを厭わない人にのみ、
見えてくる、と思っている。


尚、最近、日経サイエンスを読んでいると、
またJRのモニターを見ていると、
「心」と「意識」を混同している科学者が多いと思う。
意識は、解明できる日が近いのかもしれないが、
心はほど遠いだろう。
ロボットに話しかけ、
「最も自分を理解してくれる存在」などという科学者は、
何とも悲しい、悲しい人生を生きているのだろう、
と思ってしまう。


また、A.I.が出した結論を鵜呑みにする科学者もいる。
ビッグデータを扱う科学者(?)にそういう人が多そうである。
そういう自分で考えない科学者(医師を含む)が多くなれば、
ターミネーターやマトリックスの世界は
より現実的だろう。

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